死んだら褒められる しんだらほめられる 人は死んでしまうと褒められるのだという事。 生前善い行いをしていた方はもちろんですが 少しであっても善い部分があると それを強調して褒めてくれたり 多少悪い部分があったとしても 死者に鞭うつような行為は不道徳であるという考えから 悪い事は一切水に流し褒めるという事。 亡くなると敵味方などなくみんなに合掌されるという事。 死者に鞭うつ(ししゃにむちうつ) 亡くなった人の欠点などを責める事。 死者を冒涜する事。 [0回]PR 死んだ者の因果 しんだもののいんが 死んでしまうと色んな意味でそこで終わるという事。 都合の悪い事を自分のせいにされてしまったり 所持していた大切な持ち物などが他人の手に渡る事になっても 文句すらいえない状態であるため 死ぬのは損なのだという事。 死ぬ者貧乏 生きている者の因果 因果(いんが) 原因と結果の事。 ある事が起こったために、それに関係して起こる現象の事。 因果律(いんがりつ)という原因があるので結果があるという考え。 [0回] 死んだ仏も盆にゃ来る しんだほとけもぼんにゃくる 知り合いなどと疎遠である事は不愛想だという事。 人と行き来のないのは、すげないという事。 故人でさえお盆になると会いに来てくれるというのに 生きている人との関係が途絶えるのは残念だという事から。 お盆(おぼん) 盂蘭盆会(うらぼんえ)というのが正式な呼び方で 亡くなった先祖などがあの世からこの世へ来ると言われる時期の事。 地域によって時期は異なりますが8/13~8/16あたりを言う地域が多い。 [0回] 死んだ先を見た者いない しんださきをみたものいない 生きている間精一杯努力するのが良いという事。 生きている人は誰も死後の世界を見た事がないのだから 実際のところはよくわからず 死んだら生まれ変わり新しい人生があるなどと考えず 生きている今を大切にするのが良いという事。 来世は今よりも良いなどと考えず 生ある今を大事にしなさいという事。 死後の世界(しごのせかい) 死後の世界があるかないかについては 多くの人たちが考え研究しているそうですが 死後の世界がないという科学的な証明はされておらず また、あるという事も科学的には証明されていないという事で 科学が発達するまではどちらとも言えないというのが正解のようです。 [0回] 死んだ子の年を数える しんだこのとしをかぞえる 言ってみてもしょうがない事を言う事。 亡くなってしまった子供が もしも生きていたらと年を数えてみても その子が生き返るわけでもなく 未練を残すのは良くないという事から。 死んだ子の年勘定 死児の齢を数う 死んだ子の年数えで役には立たない 既妖の子胡んぞその齢を算えん [0回] 死んだ子に阿呆はない しんだこにあほうはない 早くこの世を去ってしまった我が子の事は 可愛いという思い出だけが残り とても惜しいという気持ちになるという事。 もしも子供が生きていたら とても器量がよく頭もよかった と思う親心の事。 死ぬる子みめよし 死んだ子は賢い 逃げた魚は大きい 阿呆(あほう) 秦の始皇帝が作った巨大神殿《阿房宮》が語源とされる。 [0回] 身代につるる心 しんだいにつるるこころ 人の感情は所有している財産に左右されるのだという事。 人の心とは持っている財産の量で 大きくもなれば小さくもなるという事。 財産があれば心に余裕もでき 財産がなければ心には余裕ができないという事から。 つるる心(つるるこころ) つるるとは連れると同じで 従うや伴うの意味となり つるる心とはある種の状態に従う心の作用という事になります。 [0回] 人生僅か五十年 じんせいわずかごじゅうねん 人生は短いものだという事。 昔は人の寿命は50年くらいだと思われていた事から。 昔の平均寿命 昔の人たちの平均寿命は短く 古墳時代が25歳くらい 平安時代が30~40歳 鎌倉時代が24歳くらい 室町時代が16歳くらい 江戸時代が31歳くらい 明治・大正時代が43歳くらいだったと言われています。 [0回] 人生朝露の如し じんせいちょうろのごとし 人生とは朝露のように儚いものだという事。 人生はとても短くもろいものだという事。 霧の世 人生は風灯石火の如し 人生は風灯石火の如し(じんせいはふうとうせっかのごとし) 人生朝露の如しと同じ意味で 風灯(ふうとう)とは風前の灯火で 人生の儚く短い事を表し 石火(せっか)とは火打石から発生する火の事で とても短い時間や儚い事の意味となります。 風灯石火(ふうとうせっか)とは同じような意味の言葉を二つ並べたもので 短い時間や儚い事を強調したものと思われます。 [0回] 人生字を識るは憂患の始 じんせいじをしるはゆうかんのはじめ 人は知識の乏しい方が悩みが少ないのだという事。 字を覚え学問を覚えるようになると 知識量が増えてそのため 心を痛ませるような事が多くなりという事で 何も知らなければ悩んだり心配したりする事がないという事から。 字を知るは憂の始 憂患(ゆうかん) とても心配して悩み、心を痛める事。 《心を痛める》とはあれこれと悩む事、心配する事。 [0回]