姑に似た嫁 しゅうとめににたよめ 姑と嫁には血縁関係はないが 長く一緒にいるうちに嫁は姑に似てくるものだという事。 嫁は姑に似る 姑に似たる嫁が来る 嫁と姑は似て来るのか? 嫁と姑は似てくるという話があり 一緒に住んでいると似てくるという説と もともと夫が母親と似ているタイプを選んで嫁にしているという説があるようです。 [0回]PR 姑なければ村姑 しゅうとめなければむらじゅうと 嫁いだ家に姑がいなくて安心していると 近くに住んでいる人たちなどがお節介や干渉などがあり 静かにしてくれないものだという事。 ご近所さんなどは親しく接してるつもりかもしれませんが 本人からするとプライバシーの侵害と思えるような状況の事。 村姑(むらじゅうと) 隣近所の人が姑のように色々口を出してくる事。 口やかましいご近所さんの事。 [0回] 姑が無事で嫁憎し しゅうとめがぶじでよめにくし 姑が嫁に意地悪をしてるうちは元気である証拠という事。 姑が健康なうちは嫁いびりは止まないという事から。 無事(ぶじ) 普段と変わりない事。 病気などしていなく健康な事。 無難である事。 [0回] 舅の物で相婿もてなす しゅうとのものであいむこもてなす 自分の所持金などは使わず 他人から貰ったりしたものなどを他の人に振舞う事。 相婿とは姉妹の夫同士の事で その婿同士が娘の実家で出されたものを勧め合う光景から。 舅の酒で相婿もてなす 人の牛蒡で法事する 人のふんどしで相撲とる 相婿(あいむこ) 姉妹のそれぞれの夫の事。 兄弟のそれぞれの妻は相嫁(あいよめ)と呼ぶ。 [0回] 主と親には勝たれぬ しゅとおやにはかたれぬ 主人と親には従わなければならないという事。 主人や親というものは経験などを積んでおり またこれからもその差が縮まる事はないので 勝てないという事。 ただし、主人や親の言う事を 盲目的に信用する事を勧めているわけではないので注意が必要。 主と病には勝てぬ 主と親爺は無理なものと思え [0回] 宗旨の争い釈迦の恥 しゅうしのあらそいしゃかのはじ 宗派の争いはいけないのだという事。 仏教の様々な宗派がお互いに争うのは 開祖である釈迦の恥となるという事。 釈迦に宗旨なし 宗論はどちらが負けても釈迦の恥 宗旨(しゅうし) 各宗派が信仰する教えの事。 [0回] 十三になる迄は七面変わる じゅうさんになるまではななおもてかわる 小さい頃の印象は当てにならないという事。 子供の頃はよく印象が変わるという事。 子供の頃は目鼻立ちがくっきりとしていたのに 成長とともに平凡な顔立ちになったり その逆に子供の頃は平凡だったのに 成長とともに美しくなったりと様々である事から。 七面(ななおもて) 様々に変化する事。 [0回] 衆口は禍福の門 しゅうこうはかふくのもん 大衆の言う事が原因で禍に陥ったり幸運を招いたりするので 世論や大衆が何を言っているのか注意を怠ってはならないという事。 これは民衆の全体が何を言っているのか注意して聞く必要があるという事で 一部の多弁な人間は信用できないが 多くの人が言っている事には耳を傾ける必要があるという事。 これが原因で禍になる事もあり注意は必要だが 幸運を招く事もあるので考慮して聞くのが良いという事。 禍福の門(かふくのもん) わざわいや幸せが入ってくる入口の事。 [0回] 十九立花二十は見花二十一では萎れ花 じゅうくたちばなはたちはみばなにじゅういちではしおればな 昔の女性の移り変わりを言ったもの。 十九の頃はこれから美しくなるところで 二十は美しい盛り、二十一はそろそろ衰えが目立つようになるという意味から。 江戸時代の平均寿命 江戸時代は平均寿命が30~40歳くらいと考えられ 20歳くらいではもう人生の半分くらいの年齢となります。 現在の平均寿命が80~90歳くらいなので 当時の20歳は現在の40歳過ぎ位の感覚なのかもしれません。 [0回] 習慣は第二の天性なり しゅうかんはだいにのてんせいなり 日々繰り返す行動は人生を変えるという事。 習慣というものは長く続けていくうちに身に付くもので それは生まれつき持って生まれた性質に変わらない程 その人の生き方に影響を与えるという事。 習慣は自然の若し 習慣は自然と成る 習慣は常と為る 習慣化(しゅうかんか) 習慣化とは無意識に行動や思考を行う事で くり返し同じ事を続けることによってそれが可能になる事。 よい事もわるい事も続ける事で習慣化するため よい癖がつくとそれが習慣となりきちんとした生活を送ったり 逆に悪い癖がつくとそれが習慣となってだらしなくなったりしてしまう事。 [0回]