"し"カテゴリーの記事一覧 地獄も住家 じごくもすみか どんなひどい場所でも住んでみれば慣れてしまうという事。 地獄のような恐ろしい場所であっても そこに長年住んで慣れてしまうと住み心地のよい物だという事から。 住めば田舎も名所 住めば都で花が咲く 住家(すみか) 生活の拠点となる場所。 また、動物などが巣をつくり生活する場所。 [0回]PR 地獄へも連れ じごくへもつれ どのような状況の場所へ行くのにも一人で行くよりは 誰かと一緒がいいという事。 地獄のような場所へ行くのにも道連れが欲しいという事で 誰かに恨みなどがあるわけではなく 淋しく一人で行くよりは一緒に行ってくれる人がいたほうが心強いという事。 自分が地獄へ落ちるので恨みを持った人を道連れにという意味ではないので注意。 旅は道連れ 道連れ(みちづれ) 同行してくれる人。 一緒に行動する事。 [0回] 地獄は壁一重 じごくはかべひとえ わずかな判断や行動の違いで 人は過ちを犯してしまうという事。 天国や極楽と言われる所と地獄とは聊かの違いであり 一瞬で天国から地獄へと落ちてしまうという事から。 壁一重(かべひとえ) 壁一枚で隔てられているくらいでとても境目が薄い事。 またとてもお互いに近い事。 聊か(いささか) 些かとも書く。 わずかや少しである事。 [0回] 地獄の沙汰も金次第 じごくのさたもかねしだい お金の影響力は大きい物だという事。 地獄の厳しい沙汰でさえも お金次第では加減してもらえることもあるという事から。 地獄極楽の道も銭 人間万事金の世の中 銭ある時は鬼をも使う 仏の光より金の光 冥途の道も金次第 阿弥陀の光も金次第 現世も後世も金次第 金の光は阿弥陀ほど 成るも成らぬも金次第 銭あれば木仏も面をかえす 千金は死せず百金は刑せられず 金さえやれば行く先で旦那 金があれば馬鹿も旦那 金の光は七光 金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる 裁きは財布の引っ張る側へ傾く 地獄の沙汰も金が言わする 金が物いう世の中 金はすべての扉をあける鍵である [0回] 地獄の釜の蓋もあく じごくのかまのふたもあく どんなに忙しい人でも休みを取る日で閻魔の斎日の事。 いつも地獄で罪人たちを煮ている地獄の釜も この日ばかりは釜の蓋を取り 地獄の極卒達も休日を楽しむという事から。 元日と十六日には餓鬼の頸も許される お賽日に働けば拷問にかかる 地獄の釜の蓋(じごくのかまのふた) 地獄で罪人たちをグツグツ煮込む釜の蓋の事で 実際の釜でお米を炊くような蓋の事を言うという説もあれば それは象徴で冥途へと通じる穴をふさいでいる蓋の事や お墓や棺桶などの蓋を連想するのだという説もあるようです。 [0回] 地獄にも知る人 じごくにもしるひと 人はそれほど孤独な物ではないのだという事。 どれほど過酷な状況であっても 異郷の地であっても知り合いは出来るものだという事。 地獄のように自分の事で精一杯な場所でも 同じような境遇の人と知り合う事ができるという事から。 地獄にも近付き 地獄にもしるべ 冥途にも知る人 知る人(しるひと) 知人の事。 知人とは知っている人や知り合いの事で 知り合いとは顔と名前を知っている以外にある程度の付き合いのある人で 知っている人とはその人に対する知識を少し持っている程度の事。 [0回] 地獄で仏に逢ったよう じごくでほとけにあったよう 自分の力ではどうしようもない程 厄介な問題を抱えている時に 思いがけない力添えをもらい感謝でうれしく思う事。 地獄にいるような絶望的な状況の中で 仏様のような心優しく慈悲深い存在に出会ったような幸福という事から。 地獄で地蔵にあう 地獄の地蔵 七道の辻で地蔵菩薩に御意得た心地 六道にて地蔵菩薩に逢うた心地 仏(ほとけ) 仏陀(ぶっだ)の事でインドでは悟りを開いた人の意味となる。 お釈迦様はインド出身で仏の教えとして仏教が創始され それが日本に伝わり日本では独自の日本仏教となる。 [0回] 地獄極楽は心にあり じごくごくらくはこころにあり 地獄や極楽というものは自分の心が判断するものであるという事。 他人から見て恵まれた環境に生まれていても もっと恵まれた人がいるので自分は不幸だと思うか 自分は恵まれていると感謝するかという心の感じ方で 同じ事であっても人により地獄であったり極楽であったりするという事から。 地獄極楽はこの世にあり 地獄も極楽も目の前にある 地獄遠くに非ず極楽また眼前なり [0回] 自業自得 じごうじとく よく使われているのは 自分の悪業が自分にいずれ返ってくるというもの。 この解釈は間違っているわけではないのですが正確には 自分の行いが自分の運命を決めるという意味で よい事もわるい事も自分の行いの結果であるという事。 自分の素行が自分の運命を作り出すという事。 自業自縛 自作自愛 蒔いた種は刈らねばならぬ 自業(じごう) 業とは行いという意味で 自分の行い・自分の素行という事になります。 自得(じとく) 自分のした行いの結果や運命を得る事という意味で 行いが良ければよい結果を得 悪い事であれば結果も悪いという事。 [0回] しくじるは稽古の為 しくじるはけいこのため 力量不足で失敗した事を前向きに考えたもの。 失敗をするのは稽古がたくさん必要で 稽古をすると上達をするだろうという事から。 負け惜しみで言う言葉であるという解釈もありますが 失敗を受け止め努力をするのはよい事だと思います。 ただし、 負けず嫌いな人は自分の失敗には寛容で前向きな解釈をしますが 同じ失敗を他人がすると全く違う行動をとるので その場合は負け惜しみという解釈が成り立つと思います。 失敗は成功の基 しくじる 失敗をする事。 《失敗る》と当て字で書く事もある。 [0回]