"い"カテゴリーの記事一覧 井戸の端の童 いどのはたのわらべ とても危険な状態にある事のたとえ。 井戸端で幼児が遊んでいるのは落ちる可能性があり とても危険な事から。 井戸端(いどばた) 井戸の近く。 江戸時代の長屋では井戸の周りは住民たちが集まる広場の役割をしていて 子供たちも井戸の周りで遊びまわる事が多かったそうです。 童(わらべ) 子供の事。 [0回]PR 従兄弟はとこは道端の犬の糞 いとこはとこはみちばたのいぬのくそ いとこやはとこは沢山いるものだが 他人のような関係になってる事が多く 頼りにはならないという事。 犬のうんちは道端によく落ちているものだが 全く役に立たないのと同じだという事。 いとこ 自分の親の兄弟の子供。 4親等の親族。 はとこ 自分の祖父母の兄弟姉妹の孫。 6親等の親族。 又従兄弟(またいとこ)ともいう。 [0回] いとこ同士は鴨の味 いとこどうしはかものあじ いとこ同士の夫婦は仲睦まじいというもの。 いとこ婚(いとここん) 日本では直系でない限りは4親等以上離れていれば 血族同士の結婚は認められています。 [0回] 偽りの頭に宿る神あり いつわりのこうべにやどるかみあり 商人などは嘘を言いながら金持ちになるのを皮肉を込めて言った言葉。 神は善人だけでなく時には悪人にも幸福をもたらすという事。 皮肉(ひにく) 欠点や弱点を遠回しに非難する事。 皮肉と嫌味の違いは 皮肉は遠回しに相手を咎める事に対し 嫌味は直接相手を不快にさせる事が目的である事です。 [0回] 何時も柳の下に泥鰌は居らぬ いつもやなぎのしたにどじょうはおらぬ 一度うまく行ったからといって 次も同じことをしてうまく行くとは限らないという事。 一度柳の下にいた泥鰌を取ったことがあったとしても いつも柳の下に泥鰌がいるとは限らないという事から。 泥鰌(どじょう) 水田に生息し日本のほか中国・朝鮮・台湾などに生息する。 日本では柳川鍋や蒲焼きなどとして食べる。 [0回] いつも月夜に米の飯 いつもつきよにこめのめし 気楽な生活をおくれている事。 飽きる事の無い生活をしている事。 昔は月の光がとてもありがたく 白米のご飯は贅沢なものだったので 月夜と米は一生でも飽きる事の無いものだった事から。 月の光(つきのひかり) 太陽の光を月が反射したもの。 満月の夜であれば明かりを持たずとも夜道を歩けるので 昔はそれだけでありがたいものだったはずです。 [0回] いつ迄もあると思うな親と金 いつまでもあるとおもうなおやとかね ちゃんと独立をして生活をするべきだという事。 親のありがたみは生きている間はわからず 亡くなってから身に染みて親の恩を悟る事が多いため いつまでも親がいて面倒を見てくれるのだという考えは改めるべきだという事。 独立する事と倹約を常に心がけるのが大切だという事。 [0回] 一本箆は金の沓はいても探せ いっぽんべらはきんのくつはいてもさがせ 一つ年上の女房は慈愛に満ちていて 家のおさまりがよいと歓迎されるものだという事。 年上の女房はいくら歩いても減らない鉄の沓を履いて捜し歩けという事。 金の沓は黄金製の履物ではなく金属製の履物の意味となります。 [0回] 一匹狂えば千匹の馬も狂う いっぴきくるえばせんびきのうまもくるう 群集心理というのはわずかな刺激でも全体が騒ぎ出してしまうという事。 わずかの異常にも付和雷同してしまうという事。 付和雷同(ふわらいどう) すぐ他人の意見に動かされてしまう事。 自分の主義主張がなく他人の意見に同調してしまう事。 [0回] 一双の玉臂千人の枕 いっそうのぎょくひせんにんのまくら 遊女の身の上を語った言葉。 両方のひじが千人の男の枕になるという事から。 玉臂(ぎょくひ) 美しいひじ。 玉のように美しい美人のひじの事。 [0回]